ザ・ヴァージンズ『ザ・ヴァージンズ』
ザ・ヴァージンズ『ザ・ヴァージンズ』 The Virgins - The Virgins
SNOOZER #073 - 2009年6月号 176ページ 文:田中宗一郎
もう最高でしょう。マルーン5の曲を演奏しているストロークスのような、ディスコ、ファンク・マナーを持った、グルーヴィ・ロックンロール。もしくは、80年代のMTVポップスのエッセンスを振りかけた、70年代後半のローリング・ストーンズ。
まさにこれは、これまで夜遊びし倒してきた人間にしか作れない、ネオンきらめく都会の夜の音楽。どこを切っても、軽薄な究極のパーティ・ミュージック。でも、腰にクる。しかも、若きコステロを100倍セクシーにしたかのような、耳元で口説き文句を囁くために天から授かったようなエロい声。あえぎ声以外の何物でもないファルセットもエロい。脳みその中には、セックスと金と夜遊びとコカインしかないのが一目瞭然。だが、腰のグラインディングだけは誰にも負けないぞ的な。
アルバム冒頭3曲は、とにかく最強。だが、次第に曲がしょぼくなっていくところも最高。全10曲34分4秒。だが、実のところ、アルバム最終曲の後には、酔っ払ってるんだか、鼻の穴の周りに白い粉がついてるんだかの姉ちゃんが本作からの最大のヒットになった ❝リッチ・ガールズ❞ を歌っているという最低劣悪なヒドゥン・トラックが収められていて、それまでの無音も含むと、4分以上あるので、つまり、20分台のアルバムなのだ。軽薄短小とはまさにこのこと。最高です。
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Private Affair
Teen Lovers
Rich Girls
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http://www.littlemore.co.jp/magazines/snoozer/issues/20090618127.html
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※改行はこちらで云々
以上。
バトルス『ミラード』
バトルス『ミラード』 Battles - Mirrored
SNOOZER #061 - 2007年6月号 195ページ 文:田中宗一郎
タイトル通り、写し鏡の向こう側で拡がり続ける、複雑ながら整然とした幾何学模様のような、変幻自在のリズムとリフの応酬によるトライバルで、ヒプノティックなダンス・ミュージック。これまで3枚のEPも十二分に刺激的だったものの、「メンバーそれぞれのキャリアからすれば、まぁ、当然こうなるわな」という納得の範疇を飛び出るものではなかった。だが、この初のフル・レングスでは、これまでの過剰な変拍子を抑え、ミニマルなビートを積極的に採用することで、ヒプノティックな感覚が強まった。ヘリウムガスを吸い込んだ時のように甲高くエフェクトされた声は、アルバム全体にメロディとユーモラスなムードを持ち込んだ。この差はデカい。
バトルスにしろ、トータスにしろ、マーズ・ヴォルタにしろ、ポストハードコア・バンドというのは、過剰なストイシズム息苦しさを感じさせる場合が多々ある。だが、このレコードでは、ユーモラスさとクールネスが絶妙に同居するようになり、気軽に楽しめる。幼児が幾何学パズルに夢中になっているような無邪気さと適度な覚醒感もある。ただ繰り返し聴いてると、ちょっとしたアンサンブルのズレ、エディットの甘さが気になりだすのが欠点。LCDサウンドシステム諸作やビョーク新作*1のような、生演奏の絶妙なエディットに比べると、そこが惜しい。
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Atlas
Tonto
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http://www.littlemore.co.jp/magazines/snoozer/issues/20070618115.html
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※原文ママ
以上。
*1:おそらく『ヴォルタ』
ザ・リバティーンズ『リバティーンズ革命』
ザ・リバティーンズ『リバティーンズ革命』 The Libertines - The Libertines
SNOOZER #045 - 2004年8月号 178ページ 文:田中宗一郎
最初聴いた時は、ただの粗大ごみにしか思えなかったのに、何度聴いても涙が溢れてくる。この作品をレヴューのどの枠で扱うべきか、とにかく迷った。この作品を通常の評価軸で計るなんて、とても無理。こんなにもパーソナルな音楽はない。聴けば聴くほど、自分がどれほどリバティーンズのことが好きでたまらないかを思い知らされる。
誰もが愛さずにはいられない超ダメ人間。そいつの影に隠れて、そのダメ人間っぷりを誰もが忘れつつある愛すべきダメ人間。他のメンバーのあまりの下手さに隠れて、そのシャープなドラムが少しも話題にならない敏腕ドラマー。他のメンバーがあまりにもキャラ立ちしすぎて、その下手くそっぷりを誰も話題にしないベーシスト。すべてありのままをテープに記録しようとするミック・ジョーンズのプロデュースは、それぞれの人格や関係性までパッケージしてしまっている。
へろへろでヨレヨレの演奏。尖りまくったサウンド。甘すぎるメロディ。これまでに起こったドラマがすべてフラッシュバックするかのような言葉。時にはぶつかり、時には支え合い、時にはすねたようにすれ違う二本のギター。だらしない幕切れ。交わされた昔の約束。決して消えない情熱。報われない愛。数々の夢のような思い出。
すべてが美しすぎて、すべてが悲しすぎる。これぞ、俺のリバティーンズ。
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Can't Stand Me Now
What Became Of The Likely Lads
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http://www.littlemore.co.jp/magazines/snoozer/issues/2004081893.html
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※改行だけはうんぬんかんぬん。
以上。
クリニック『ウォーキング・ウィズ・ジー』
クリニック『ウォーキング・ウィズ・ジー』 Clinic - Walking With Thee
SNOOZER #029 - 2002年2月号 147ページ 文:田中宗一郎
1stアルバムにおける、地下室で爆弾作ってる過激派みたいな正体不明の凄みはさすがに薄れたが、ダビーな音響はそのままに、リズムとサウンド・テクスチュアが整理され、見事に洗練された、充実の2ndアルバム。
完成度めっちゃ高い。
そう、これだけははっきりと言っておきたいのだけど、20年以上ずっとイギリス音楽を聴いていた人間として言わせてもらうなら、例の「UKギター・ロック」と呼ばれている音楽は、ザ・スミス以降の「インディ・ロック」という傍流でしかない。このクリニックみたいに、黒人には絶対に作れない黒人音楽、そして、アメリカ人には絶対に作れないアメリカ音楽をやっている人達こそが、僕にとってのブリティッシュ・ロックの王道だ。アイリッシュ音楽がアメリカに渡って、またそれが地球を一周して、港町リヴァプールに辿り着くーーー資源を持たない島国イギリスの植民地政策から零れ落ちた、カルチャーとアートの喜ばしき衝突。
ビートルズの世代は黒人リズム&ブルーズを、クラッシュの世代はカリブ音楽やヒップホップを、ストーン・ローゼズの世代はハウスやファンクを、それぞれ自分達のリアルに置き換えてみせた。そして、クリニックは、ニュー・オリンズのジャズやR&Bを自らのリアリティとして鳴らしている。
聴けば聴くほど心に染み込んでくる本当に素晴らしいアルバム。
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Walking With Thee
Come Into Our Room
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http://www.littlemore.co.jp/magazines/snoozer/issues/2002021858.html
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※改行を適度に入れてます
以上。
ジャミロクワイ『ファンク・オデッセイ』
ジャミロクワイ『ファンク・オデッセイ』 Jamiroquai - A Funk Odyssey
SNOOZER #027 - 2001年10月号 166ページ 文:田中宗一郎
ザ・フーを例に取れば明らかだが、欧米のロックは、キリスト教的な価値観を根こそぎ否定することを、ひとつの契機とする場合が多い。で、そのプロセスとして、黒人音楽との出会いは、いつの時代も白人にとっては確かな刺激たりえたわけだが、そこから生み出された大方の音楽的成果は、いつも「郊外に暮らす白人の曖昧な憂鬱」に回収されてきたと言える。
例えば、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの ❝具体的な❞ 怒りが、いつの間にか、リンプ的な、曖昧な憂鬱やフラストレーションとして商品化されていったのを見ても明らかだろう(スリップノットが刺激的なのは、やはり田舎者の具体性を持っているからだ)。
ただ、いずれにせよ、郊外に暮らす白人というのは、その経済的余裕と中途半端に高い知的水準ゆえに、常に観念的にならざるをえないし、必然的に曖昧な欠片を抱え込むわけで、その結果、その欠落(そして、それと背中合わせの自尊心)を埋めてくれる、アーバン&スノビッシュな音楽の市場を牽引してきた。そして、この期に及んでも、郊外の白人気分に浸っていたい日本のユースの間で、ジャミロクワイは人気だ。だが、それは、ある種の ❝具体性❞ を伴っているはずのジャミロクワイにとって不幸だと思う。
何故ここまで、この白人がファンクに固執するのか、ちょっと考えてもよかろうに。
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Little L
You Give Me Something
Love Foolosophy
Corner of the Earth
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http://www.littlemore.co.jp/magazines/snoozer/issues/2001101856.html
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※改行だけ手を入れてます
以上。
ザ・キラーズ『デイ&エイジ』
ザ・キラーズ『デイ&エイジ』 The Killers - Day & Age
SNOOZER #071 - 2009年2月号 194ページ 文:田中宗一郎
死ぬほどダッセー!!!--この言葉を、最大限の賛辞として、この起死回生の大傑作に贈りたい。
そもそも最初に誤解があったのだ。キラーズというバンドは、同時期、よく似たアイデアを携え、英国から登場したフランツ・ファーディナンドの洗練さ、知的さとは、まさに対極にあるバンドだった。どんなスーツを着ようが、ホテルのベルボーイにしか見えないベイビーフェイスのナード男をフロントに擁するこのバンドは、七五三の子供ほどはグラマラスでありこそすれ、決してクールなバンドなどではなかった。にもかかわらず、無様なまでにクールを気取ろうとするその姿が、その懸命さゆえに最高にキラキラと輝いていたのだ。つまり、彼らは2000年代のウィーザーだった。
この3rdアルバムは、血も涙もない言い方をするなら、アメリカという自らのルーツに回帰した2ndアルバムが、あろうことか自国の人々に受け入れられなかったことに落胆し、臆面もなく1stアルバムの路線に再び軌道修正した敗北宣言でもある。実際、大半のリリックは、自分が受け入れられなかったことに対する泣き言に溢れ、今とは別の場所に飛び出すことばかり歌っている。
見かけもやることも、すべてダサい。どれだけスチュアート・プライスの洗練されたスキルを借りようと、音もダサい。涙が出るほどダサい。だからこその大傑作。
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Human
Spaceman
A Dustland Fairytale
The World We Live In
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http://www.littlemore.co.jp/magazines/snoozer/issues/20090218125.html
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※改行を適度に入れてます、あとはそのまま
以上。
スプーン『トランスファレンス』
スプーン『トランスファレンス』 Spoon - Transference
SNOOZER #077 - 2010年2月号*1*2 177ページ 文:田中宗一郎
※原文ママと言いたいところですが適度に改行を入れてます、あしからず
ロックのレコードでこんな斬新なプロダクションを聴いたのは、本当に久しぶり。ホワイト・ストライプスの ❝セヴン・ネーション~❞ やラプチャーの ❝ハウス・オブ・ジェラス~❞ 以来?
生楽器のラフなエッジを活かしたミニマルなプロダクションや、楽器を左右のチャンネルに極端に振り分ける手法、絶妙なダブ処理は、前作にあたる傑作『ガ・ガ・ガ・ガ・ガ』の時点ですでに芽生えていた。だが、生ドラムのビートをエディットし、不自然なループ感を強調したり、エコー処理したローファイな音色とクリアな音色を並列させ、音の位相の不気味な変化を生み出したりと、とにかく耳を飽きさせない。アコギの音、太鼓の音、エレキの音--すべてこの1年の間に聴いたレコードの中でも群を抜いて素晴らしい。
ソングライティング的には、前作に色濃かったビートルズ風味、60年代ソウルの要素は後退し、このバンドが80年代ポストパンクに触発され、カンの『エーゲ・バミヤージ』から名前を拝借したことを思い出させるミニマル・ロックンロール。ソングライティング的には10曲すべてが珠玉の名曲だった前作には及ばない。だが、アルバム全体のトータリティではこちらが上だろう。
これは21世紀の『リボルバー』、いや、ビートルズ『リボルバー』とコーネリアス『ポイント』のミッシング・リンクだ。
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Written In Reverse
Got Nuffin
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http://www.littlemore.co.jp/magazines/snoozer/issues/20091218131.html
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以上。